なまい洋子(生井洋子)公式ホームページ

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Messageメッセージ

【はじめに】

はじめまして。

皆さんは今、生き生きと輝く未来を歩んでいられますか?

明るい笑顔の絶えない生活を送れていますか?

そうではなく、日々の生活に疲れてしまっている方、将来に不安を抱いている方、生きる希望が無い方、様々な悩みを抱えている方etc.
そうした全ての方々が、一人でも多く笑顔になって欲しい。

平穏で心豊かな生活を、安心して過ごせる、そんな社会を実現したい!!という思いから、このHPを立ち上げました。
どんな状況下でも、必ず解決の糸口は見つかるはず。

そして、ご自身の今の状況を変えたいと思われている方々に
少しでも前に進む勇気と元気を与え、皆さんのお役に立ちたいと思っております。

Profileプロフィール

1967年 横須賀市の聖ヨゼフ病院にて誕生。
1970年 父の仕事の関係で広島県に引っ越し。
幼少期は、男の子・女の子どちらも沢山引き連れて、先頭になって遊ぶ活発な子どもでした。
1973年 広島県熊野町立熊野小学校 入学
小学1年生の発表ステージで、クラス全員からの推薦でシンデレラ役が決まっていましたが、転校することに。
1974年
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横浜市立大鳥小学校 転入
田舎の学校から都会の学校に転校し、最初は言葉に訛りがあるといじめられましたが、ここで鍛え上げられ
都会っ子の中でもリーダー格の存在に。しかし、又、父の仕事の関係で横須賀に戻ることに。
1975年 横須賀市立衣笠小学校 転入
3回の転校を経験し、初対面の子でも直ぐに打ち解けられる性格に。
初恋を経験し、毎年バレンタインデーは、私が意中の彼にチョコを渡す際、クラス以外の生徒達も集まり学年の中での恒例行事に!
1979年
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横須賀市立衣笠中学校 入学
合唱コンクールに力を入れていた学校で、得意のピアノを活かし、いつもピアノ奏者として活躍しました。
成績は通知表オール5を何度も達成し、成績優秀扱いされるのが本人は嫌で、もっとハジけたいと思って
いました。
1982年
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神奈川県立横須賀高等学校 入学
横須賀市の中で偏差値トップの高校に入学したものの、勉強しなくなり、成績は落ちる
一方、、、。
一方で、体育祭では女応援団長を務めて応援賞を獲得したり、バドミントン部で部員たちと青春を謳歌しました。
1985年
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明治学院大学 社会学部 社会福祉学科 入学
ソーシャルワーカーに興味があり社会福祉学科に入学。
しかしながら当時はバブル時代の丁度幕開け。
スキーサークルに所属し、スキー全盛期を満喫し、当時流行ったワンレンボディコン姿で
六本木や麻布十番での学生イベントサークル主催のディスコパーティーを思いっきり楽しむ日々でした。
1989年
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全日本空輸(ANA)株式会社 客室部 客室乗務3課 入社
ANA時代は、フライトのみならず新人訓練を担当したり、数十名の班員を率いる
グループスーパーバイザーとして指導育成、労務全般の教育を行いました。
新たなプロジェクトのメンバーに選出され、客室部全体の課題解決への取り組みを実施。
企画することが好きで、ANA全社で行われた旅行企画コンペティションに応募。
企画した内容が優勝し、ANAツアーとして商品化されました。
CA職に導入された契約社員の社員教育インストラクターに抜擢。
当時「アルバイトCA」と呼ばれ、正社員と雇用条件に格差があったことで非常に後ろ向きになっていた彼女達に対して、長期雇用制度を見据えた前向きな気持ちにさせる指導を実施。課題解決能力が評価され、新しく設立された部署に抜擢。
1997年 全日本空輸(ANA)株式会社 空港本部 サービス推進部 スカイアシストデスク 転属
まだノウハウが確立されていなかった、非常に困難なお身体の不自由なお客様の搭乗に際し、飛行機の保安規定に抵触せずに、いかに安全且つ快適に搭乗して頂けるか、様々な部署と連携し、難しいハンドリングを担当。
1999年 全日本空輸(ANA)株式会社 客室部 客室乗務3課 転属
数十名の班員を率いるグループスーパーバイザーに再度就任。後輩達の指導育成がメインになってしまう役職の中で他部署での経験から、もっと自分自身の能力を生かしたいと思うようになり、総合職への転換を希望するか悩む日々でした。
2000年3月 全日本空輸(ANA)株式会社 退社
その年の早期退職制度の年齢が、丁度私の年齢まで引き下がったことで、会社側に貢献しなければならないという重圧も無くなり、企画力を試すべく退社。
2001年4月 東京レストラン協同組合 営業企画部 入社
官公庁・大手上場企業の福利厚生部門を担当。持ち前の企画力を発揮すべく、契約している官公庁並びに企業へのイベント・セミナー
パーティーの提案、企画運営実施。新規企業や新規飲食・レジャー企業の開拓、情報誌オフィス向けマガジンの編集・発行も手掛けました。
2002年8月 東京レストラン協同組合 退社(結婚退職)
2003年5月 結婚
2004年2月 男児出産
2005年 シングルマザーの道を選び、実家がある横須賀に息子と戻り、息子最優先の生活を送りました。
2015年2月
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Office Y・Y 設立
息子の成長と共に、周りからの後押しもあり、持ち前の企画力を存分に生かせる企画運営会社を設立。
女性向けのイベントやセミナー、華やかなパーティーなどの企画運営、セミナー講師、
司会を担当。
設立後からコロナ前まで、企業からの依頼も含む50以上のイベント、セミナー、
パーティーを企画運営実施しました。
2016年8月
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美魔女の元祖「ミセス日本グランプリ」50代ファイナリストに全国の応募者の中から
選出されました。
2017年6月
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東京ピースライオンズクラブ 「スマイル支部」設立
恵まれない子どもたちへの支援をする為に、世界最大の奉仕団体であるライオンズクラブの所属するクラブ内にて、思いに賛同して下さった方々と女性だけの支部を設立。
街頭募金活動やイベント・パーティー時の募金活動実施。
2017年7月
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株式会社プロラボホールディングス 会長付マーケティング・アドバイザー就任。
インナービューティーのパイオニア企業が、BtoBマーケティングからBtoCマーケティングに展開する際の、様々な営業集客方法を提案。
エステサロン、スパ、ヘアサロン、フィットネスクラブ向けプロフェッショナルユースのメーカ―を、認知度アップの為に様々なイベント・セミナー・パーティーを企画運営。
ミセス世代中心に広く一般向けに周知。社員の意識向上、意識改革、課題解決に取り組むと共に、全国直営店舗スタッフの接客レベル向上をはかるべく研修担当。又、SNSを活用しての広告戦略について全営業社員への研修担当。
2018年4月
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国内初の「第一回美脚コンテスト」準グランプリ受賞
全国展開する脚やせ専門エステ主催の初めてのコンテストにおいて、全国から選出された20代から60代までの
美脚自慢の方々をおさえ、51歳にして準グランプリに選ばれました。
2018年12月
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児童養護施設「春光学園」ボランティア訪問開始
出身校の小学校近くにあった春光学園は、当時、この学園から通う同級生も数名おり、支援をしたいと
思っていました。
この月以降、毎月訪問し、幼児部の子ども達へのお菓子のお届けや支援金のお届け、洋服や本の寄贈を
しています。
2021年10月 横須賀市立公郷小学校子ども教室 指導員就任
横須賀市内における子ども達の放課後の状況、働くお母さん達の支援体制がどうなっているか、実際に指導員となって問題解決に向け
取り組んでいます。

Reasons政治家を志す理由

何故、政治家を志したか?

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私は息子が1歳4ヶ月の時にシングルマザーになり、当時無職で無力であった私は、息子を連れて横須賀の実家に戻ってきました。
幸い、両親は私達を全面的にバックアップしてくれて、何不自由なく過ごすことが出来ました。

一方で、シングルマザーの繋がりで、様々な方々と出会ううちに、ひとり親家庭の世代収入の低さ、特にシングルマザーの貧困率の高さを実感するようになり、その様な環境下で育つ子ども達の劣悪な教育環境や食事事情を知ることになりました。
知り合いからの紹介で、恵まれない中学生達への学習支援と夕食の提供をしているNPO法人の活動に、ボランティアとして参加するようになり、豊かな日本で考えられないような状況を知り、子どもの貧困はアフリカ諸国や紛争地域の問題だと思っていた私は、衝撃を受けたのでした。

それから地元の児童養護施設への毎月のボランティア訪問を開始したのですが、訪れる度に、小さな2歳児、3歳児が新たに入所しており、殆どの子ども達が虐待によって入所を余儀無くされていると聞かされました。負の連鎖がなかなか断ち切れない現状にもどかしさを感じる日々でした。

そんな中で、コロナ禍になり、政府の対応一つで、国民の状況が変わる実態を目の当たりにし、今、正に苦しんでいる方達を救うには、施策を、その苦しんでいる方達に寄り添った内容にしていかなければならないと痛感したのでした。
その施策を変えられるのは、政治家であるため、私は政治家を志すことにしました。

Policy政策

『政策について』

ひとりでも多くの子ども達を笑顔にしたいという思いから、政治家を目指すことにしました。
先ず子ども達に関わる政策に力を入れたいと思っています。

教育・子育て
1. 教育格差の是正
現在日本の約7人に1人の子どもが、貧困状態にあると言われています。
世帯収入が多い家庭と少ない家庭の子どもとでは、学力に差が出ており、塾・習い事などの学校外教育を
受けられない子どもに、低学力の兆候が見受けられます。その為
<1> 経済的理由によっての学習機会に差が出ないよう、教育費の公費負担額を増やす。
<2> 世帯収入が少ない家庭の子どもに対して、塾や習い事、体験活動で利用出来る『学校外教育バウチャー』(必要な費用の
    助成)の提供をはかる。

2. 学校教育の充実化
教員の負担軽減をはかり、質の高い教育を提供出来るようにする為に
<1> 情報通信技術を活用した学校の環境整備に取り組む。
    具体策として、電子黒板機能付きプロジェクターの設置。
<2> 部活動指導員の外部委託化。

3. 子育て世帯に対して、経済的負担の軽減をはかる為、0歳から高3までの教育完全無償化をはかる。

4. 児童相談所の機能強化
コロナ禍において、児童虐待相談件数は過去最多を更新し、児童相談所の業務がひっ迫しています。
苦しんでいる子ども達を1人でも多く救う為に、人員増強をはかり、関係部署とのスピーディーな連携を
はかれるよう対応能力の向上をはかる。


福祉・介護・高齢者対策
1. 横須賀市の高齢者の比率は、令和4年10月現在32,26%で神奈川県の中でも比率が高く
高齢者の更なる増加が予想されます。
ひとり暮らしの高齢者、要介護の高齢者の増加が見込まれる中、住み慣れた地域での地域包括ケア
システムの充実をはかる必要があります。
<1> 市内に12ヶ所ある地域包括支援センターと、住民同士の絆が深い地域と希薄な地域といった
    地域の特性に合わせた地域住民の見守り体制との連携強化。
<2> 介護人材の待遇改善。

2. 高齢者の活動範囲を広める。
運転免許証を返納した高齢者や足が不自由になる高齢者が、生活の利便性を向上させる為に
ミニバスの循環バスを各地域に充実させる。


防犯・災害対策・まちづくり
1. 歩行者に優しいまちづくり
<1> 横須賀市は歩道が狭い道路が多く、交通量が多いのに歩道の幅が狭かったり、歩道の無い道路も多い。
    歩道拡幅整備に力を入れる。
<2> 見通しの悪い道路にカーブミラーの設置。

2. ハザードマップを活用しての、日頃からの教育現場と町内会レベルでの防災訓練の実施。

3. 防犯対策の充実をはかる。
<1> 防犯カメラの設置数増強。
<2> ひとり暮らしの高齢者に対しての安否確認システム。
<3> 子どもが犯罪に遭遇しそうになった時に駆け込める「よこすか安全・安心ステーション」の拡充と
    子ども達へのその場所の周知をはかる。


観光振興・環境
1. 海と山に囲まれた温暖な地域特性を生かした横須賀の良さを、地元企業とタイアップして
様々なイベント誘致に力を入れる。

2. 米海軍横須賀基地から、発がん性も指摘される化学物質の一種「PFOS」と「PFOA」に
汚染された排水が横須賀港へ流出した可能性がある事案に関し、引き続き原因究明を続け
市民の不安が払しょくされるべく対策強化に努める。


人口減少対策
1. 横須賀市への移住を促す為に、「関係人口」(地域と多様に関わる人々)を増やす。
<1> 短期ステイやお試し移住が出来るように、空き家をリノベーションして宿泊施設として貸し出す
    仕組みを整える。
<2> 横須賀市ならではの地域性を生かした様々な職業体験の機会を設ける。

2. 若者を呼び込むメリット対策
<1> 都市部からの移住の場合、家賃一部負担措置。
<2> 地域のひとり暮らしの老人のお手伝いをする事で、生活費の一部助成される仕組み作り。

Accessアクセス

電話番号・046-845-6274
メアド・info@namaikiyoko.com
住所・神奈川県横須賀市大矢部2丁目13番8号

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